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手 [詩]





   手



その手は魂の深みの方から直接さし出され

魂の深みの方へ直接ひっこめられる。それは

眼に見えない手だ。そこに在る物よりも そ

の物の背後に深々とおちている蔭よりも も

っと奥にさし出され 物のうしろに隠れてい

る世界に触れ、その物の形とは別のものをつ

かみとり 皮膚に感じられる重みとは別の重

みを計り その物をもとあった位置にではな

く その物のあるべき本然の位置に置こうと

する。眼に見えないその手はいつもすばやく

動いているのだ。眼に見える手がためらって

いる時もその手はいろいろなものを汲み上げ

ている。



その手は探検家ではないから出かける時何も

道具は持たない。犬も自分の影も連れていか

ない。一枚の地図も持たない。青空の色一つ

真直ぐ昇っている白い煙一つ乱さない。濃い

影の中からうすい影が音もなくぬけ出してゆ

くように その手は素手のまま 眼に見える

手の境界を越えて はてしない奥ゆきの方へ

かすかに震えながら出かけてゆく。

手のめざす領土はアフリカ大陸でもエジプト

でもなく どの地図にも書かれていない。ど

んな精緻な地図にも空の色や路吹く風のそよ

ぎが書かれていないように…。それはただ人

の瞳の奥にだけ遠い空の反映と共に見える。



手は人の眼の奥へと降りてゆく。眼に映って

いる涼しい空や顔を乱すようなことなくその

ままにしておいて。とりわけ悲しみや不幸の

ためにおちつきもなく 空や景色をふるわせ

ている者のかげりぶかい瞳の中へ降りてゆく。

深い井戸の中へ降りてゆくように。

かつてその者の眼に鮮かに映り しかし水に

おちた影がやがて水を含んで重くなり まも

なく水底に沈んでいったように その者の魂

の深みに沈ずんで 瞳の表面から消え去った

顔や手や顔の裏側にひろがる世界をさがしに

魂の深みに降りてゆく。その深度がどれ程の

ものであろうとも 手は魂が人の深みに沈ん

でいる人それぞれの色の濃さ深さのまま こ

ぼしたりうすめたりせずに持ち運んでこよう

とするのだ。



手はさがしにゆく。「過去」の方へも。その

白く細い道をたどって。晴れた秋の日 博物

館の陳列ガラスの前に立った人の淡い影が

すき透ったガラスをくぐりぬけて 土器や石

器やミイラの向うにひろがっている世界へし

のび入ってゆくように 手はさがしにゆく。

ミイラをではなくミイラの胸に沈んでいた海

今はミイラの肋骨からこぼれおちてしまった

海を。壺ではなくその壺を焼いた手を その

手のぬくみを 火の色とそのほてりを。朽ち

て土色をした喉をではなく かつてその喉を

通って外に出 そのまま行方不明になった声

や叫びを。くぼんだ眼窩ではなく そのくぼ

みをいっぱいにみたしていた涙を。 形ある

ものが発掘されればされるほど 掘りかえさ

れフルイにかけられた土と共にこぼれていっ

たもの 人々の記憶から遠く遠くそれて一層

大地の底に埋ずもれてゆくものを。



長い塀に沿って歩いてゆく手。曲り角を曲っ

て消えてゆく白い手。雨を手のひらで受け

こごんで水をすくう手。顔を洗い脱いだ顔を

水といっしょに流す手。火を囲み火にかざす

かじかんだ手。それら眼に見える手と共に

ぼくらは眼に見えぬ手 魂の深みから直接さ

し出し 魂の深みへ直接ひっこめる手を持っ

ている。













 「現代詩手帖」 1962(S37)年 1月号



タグ: 魂の深み
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