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深い手 [詩]





   深い手



深い手を

ぼくはぼくの世界に持っている。

次々と 生の中で物をのせた手を消し

みずから悔恨を深めていった手を。



白い犬の内に黒い犬が一匹棲んでいるよ

 うに

深い手は

日常の手のとどかないポケットの奥

ぼくの世界の中に

痛いめざめの姿で立っている。



日常の手は 蔭のように

ぼくの世界のはずれに棲み

そこから生の中に出ていっては その深

 みの中で

真直に降る雨を受けとめ

雨に濡れて歩く人影をのせ

夏をひろげ 深い水を運び

迷いこんできた野良犬を指先にさまよわ

 せ

色々の顔や 叫び声や

立ったまま泣いている人の姿をのせた。



しかし日常の手は

自分の体温を保ち 手の白さを保つため

 に

紙をひき裂くように

それらをひき裂き 無限に深く放しては

おのれをひっこめた。

そして思い出の中の

苦しみの部分を消すように

自分の姿を幾度となく生の中に脱ぎ

自分の輪廓を描き変え 消してきた。

そのたびに ぼくの世界の中にある深い

 手は

手が手であることの重いめざめを深めて

 いった。

これ以上脱ぐことも ひっこめることも

物蔭に隠れることもできないめざめの姿

 を

ぼくの世界の中で鮮かにしていった。



深い手は

ある時は たくさんの船と悲鳴を沈めた

 海の

遠い海鳴りのように

ぼくの耳の奥で鳴っており

ある時は 汲んでも汲んでも

汲みつくせない深い水の姿で

ぼくの世界の中に立っている。



深い手は どこから

やって来たのだろう。何の投影だろう。

どんな遠くからさしのばされて

ぼくの世界に 痛い重みと めざめを

もたらしたのだろう。



深い手は

心の方からやって来た。

ぼくの魂の幾つもの道を通り

幾つもの空をくぐり 幾つもの曠野を横

 切り

ぼくの記憶の底に鮮かに沈んでいる幾つ

 もの町を通り過ぎ

幾つもの泣き声の中を曲って

心の方から

眼をひらいてやって来た。



しかしぼくは知っている。

その深い手が出発してきたところは

心よりも もっと遠いところだというこ

 とを。

生の中で

日常の手が犯しつづけた過ちの方

悲鳴をひき裂き 人の心をひき裂き

物をこわし 落し 重みをつき放しつづ

 け

次々と自分の過ちを脱ぎ捨てては

その時々をごまかして生きてきた

手の過ちの深みの方から



どんなに遠くまでさかのぼっていっても

もはや行きつくことのできない

手の犯した過ちの

はるかな深淵の方からやって来た。



いいや その深い手は もっと遠く

ぼくの存在の根源から

消しようもこぼしようもない存在の深み

 の方から

やって来た。



ぼくがぼくの世界の中に持っている

深い手。

ぼくがぼく自身をぬがなければ消えない

 重み。

さしのばされた付け根から切り落しても

その先の 手があったもとの位置に

やはりこぼれつづけているであろう深い

 存在の投影。



深い手は それを消そうとして

どんな言いわけをのせて外から入ってく

 る手も

どんななぐさめをのせた手も

そしてどんなにうなだれた姿で入ってく

 るわびの手をも

次々と拒絶し 消しつづけ

ただ おのれのめざめをいっそうおしひ

 ろげ

悔恨を深めつづける。












 「現代詩手帖」 1964(S39)年 4月号



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