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密輸船 [詩]





   密輸船



一艘の船のなかに

密輸船が一艘碇泊している

一艘の船が属している海は 明るく

視界は明晰であったが

密輸船が碇泊している海は

別の水平線と深度と塩度をもった 地図にない領海だ

そのため羅針盤はたえず「不安」を指して さわいでいる

そして一艘の船が「外」にむかう時

密輸船はわれわれの「内」にむかう



「不安」の羅針盤に従って

われわれのまぶたの裏の 想像力の海へ入ってゆく

饒舌の後に 人が沈黙の深みへ入ってゆくように



陸に別れを告げている船員たち

その時しかし 密輸船員たちは

もっと大きなものと別れているのだ

生からも死からも言葉からも

いっさいの「離別」から離別しているのだ

ーーすでに彼らは 日常世界から抹殺された人間たちだ

彼らは人格を持たない

いかなる人称からも 思想からも自由だ



そして密輸船は一度として同じコースをたどらない

彼らには経験の累積も慣習も永遠におとずれない

すべての航海が 処女航海なのだ



一艘の船が子午線を越えて迂回する頃

密輸船はわれわれの聴覚の極北を通過する

それからの消息はしばらくとだえる

やがて密輸船は われわれにもたらすだろう

われわれの想像力の領海から

どんな革命思想よりも熱烈で

どんな麻薬よりも危険な「無意味」と「無益」を



一艘の船が 鉄鉱石や原油や果実や香料や……

それらの必需品を日常の港に荷揚げしている時

誰の耳にもとどかなかったきれぎれの悲鳴や

誰の眼も見なかった一人の人間の死の物語を

われわれの魂に

密輸船員たちはひそかにもたらすだろう



一艘の船のなかに

密輸船が一艘今日も碇泊している

「不安」に絶えず羅針盤をさわがせて

ほとんど われわれの言葉のなかの沈黙のように













 「現代詩手帖」 1972(S47)年10月号











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