So-net無料ブログ作成
検索選択

二冊の詩集   (その1) [評論 等]





   二冊の詩集



 北畠公夫詩集「CROQUIS」(思潮社)

 「ここで気がつくことは、油絵の制作、あ

るいは絵画理念をモチーフとした作品が幾つ

も出てくるということだ。……これはこの詩

人がとりもなおさずひとりの画家でもあるこ

をを物語っている。……だが、この詩人の油

絵が比較的具象に傾むくのに対して、この画

家の詩は超現実風な趣きを呈している。これ

はおそらく、絵の具の空間的固定性と、言葉

の時間的流動性という、媒材の違いによるの

ではなかろうか。」

 これは、星野徹氏の跋文中の言葉である。

北畠氏の諸作品の基調に絵画理念を見ること

に於て、私はまた星野氏に同じく、北畠氏の

作品のモチーフが絵画理念に支えられている

と考えるばかりでなく、テーマそのもの、或

いはテーマを具象するための表現技法そのも

のの、更にヴィジョンそれ自体が絵画的で

あると私には思われる。空間的固定性、時間

的流動性という言葉を借りて言えば、北畠氏

の詩の「言葉」は、画家を兼務しない一般の

詩人の詩の「言葉」に比較して、空間的固定

的な性格がいちじるしいように感じられる。





   小鳥たち



 小鳥たち。



 いくら啼いても

 還らぬものは

 かえらないのだ。



 一枚の闊葉樹の

 葉が

 音もたてずに

 散ってゆく。



 少しばかり

 金色に あたりを

 かがやかせて



 小鳥たち。



 夕映に

 つつまれて

 木の枝に休もう。





 北畠氏の場合、一つ一つの言葉の持つ意味

や、言葉が領有するイメージは作品の中でか

なり重い役割を果している。北畠氏の場合に

限らず、すべての詩の言葉は、それ自体として

自律し完結していなければならないものであ

るわけだが、しかし、そうでありつつそれら

の言葉は、それらの言葉の集積の上に具現さ

れる詩世界にいったんは統合され解体される

ものであるだろう。そしてまさに自己の存在

を解体することによって、言葉は、リアリテ

イを確保し、自己を顕現することになるので

あろう。だが北畠氏の言葉は、あくまでも総

体の一部分、詩という宇宙の中の一小宇宙と

して、最後までその存在を主張しつずけてい

るように思われる。











 以下、その2へ続きます。

   「詩学」 1969(S44)年 9月号



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。