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二冊の詩集   (その5) [評論 等]





 金丸氏の作品には形而上的なものが著しい

のであるが、一方氏の形而上世界は氏特有の

抒情性によって色どられている。そしてその

ことが氏の作品に一種のうるおいを与えてい

るのであるが、しかし氏の抒情性は作品にと

って必ずしもプラスにのみ作用しているので

はない。形而上的主題の追尋を不徹底にさせ

る要因としても働いている。しかし考えてみ

れば、主題追尋における不徹底さの原因は、

必ずしも氏の抒情性そのものにあるのではな

いだろう。むしろそれは対象に対する洞察の

不足、対象の本質把握のあいまいさにかかわ

っているものと言わねばならぬ。対象追尋の

不足を抒情性で補ってしまう安易さに根本の

原因がある。





 樹梢を鳴らす

 風があって

 風には風の底があった

 その広さだけ砂地がのびひろがっていた

 日ぐらしの大乱声のなかを

 日よ

 あおいおまえの

 透明のなかを

 わたしは砂に足をとられながらすすむ

 ここまで来て

 ついに 
  
 「わたし」とはいったい何であったのだろう

 いつもふいにおのれをひろげるおまえに

 小鳥があおぐろい影をおとしてかすめる

 あおざめたわたしのような不遜よ

 わたしはゆえもなく海への広漠をよぎる



             ーー「夏の海」そのⅡ





 「わたしはゆえもなく海への広漠をよぎ

る」という優れた詩句をその一部に持ちなが

ら、この作品は全篇に流れるひ弱な抒情性の

ために「『わたし』とは、いったい何であっ

た」かの追尋をあいまいにしてしまってい

る。言うまでもなく、この作品は「その1」

と併せて読むべきものであるが、紙幅の関係

でここには引用できない。しかし「その1」

を読み併せてみても、私にはこの作品が中途

半端なものに思えるのである。











 以下、その6へ続きます。



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